7年間の営業職を経て、制作へ『エンタの神様』でディレクターデビュー
ヒット番組を次々と世に送り出し、今や日本テレビのトップクリエイターの一人とされる田中さんだが、そのキャリアはスポットCMの営業職から始まった担当したのは、広告会社からのスポンサーCM予算を、どの番組枠で使うかを割り振っていく作案業務与えられた予算内で最大限のCM効果をもたらそうと、CM枠前後の番組視聴率や視聴者層はもちろん、裏番組の視聴者層まで緻密にマーケティングして、作案業務に臨んだ
3年目になると広告会社との強い信頼関係もでき、「日テレだから」「田中さんになら」と任される予算額が増えていったそのころ注力するようになったのが、過去に出稿実績のないスポンサーを、日本テレビに振り向かせること
「ひたすら他局の放送を見ているから、ウチに流れていないCMはすぐわかっちゃうんです(笑)そうしたら、早速そのスポンサー用にCM計画書を作成し、広告会社にアプローチしていました」
こうして、過去に発注のなかった大手服飾メーカーをCMスポンサーにしたり、ターゲットを綿密に分析して作案した映画公開CMによって映画が予想以上のヒットとなるなど、営業としての手ごたえとやりがいを感じるようになっていった
「その一方で、歯がゆさも感じていました他局のドラマの方が女性層に支持されているとか、他局の主演が人気女優だからという理由で、CM予算が他局に流れてしまうとかこれは、営業だけでは対処できないこと『やはり主役はソフト(番組)なんだ』と感じました」
その思いに突き動かされた田中さんは、番組制作職場への異動を希望7年目に異動し、『エンタの神様』のAD(アシスタントディレクター)となった収録し、VTRを編集するなど、番組を司るのがディレクターの仕事それまで、1つの番組ができ上がっていく過程のすべては知らなかった田中さんだが、先輩ディレクターの下で鍛えられ、約半年で業務を把握1年後にはディレクターとして『エンタの神様』を担当するようになった最初に任されたのは、エンディングのタレント起用田中さんは、知名度はなくても毎週ワクワクしながら見てもらえるような意外性のある人を探そうと、さまざまなお笑いライブに足を運び、まだ一般的に知られていなかったサバンナの高橋茂雄さんを起用その後任の、ムーディ勝山さんも担当した
「『この人なら!』という自分の勘が、ズバリはまった感じでしたそれまで無名に近かった芸人さんが、番組出演をきっかけに、みるみる人気者になっていくのを見るのは、すごくうれしかったですね」
■プロデューサーとして『しゃべくり007』や『嵐にしやがれ』を立ち上げ、看板番組に
2007年、田中さんはプロデューサーに転身し、『行列のできる法律相談所』を引き継いだ
「自分の主観や喜怒哀楽を信じるのがディレクターだとしたら、自分を律して『本当に面白い?』と常に客観視していくのがプロデューサープロデューサーは、予算やキャスティング、キャンペーン戦略に至るまで、番組制作全体を管理します両方を経験して、僕はプロデューサーの方が楽しいなと思いました」
2008年に特番として制作した『人生が変わる1分間の深イイ話』は、すぐにレギュラー化その後も、『しゃべくり007』や『嵐にしやがれ』などを立ち上げ、日本テレビの看板番組に育てていった
「特に印象に残っているのは『しゃべくり007』ですね月曜22時に放送される番組には強敵の裏番組があって、社内的にはあまり期待していない雰囲気も一部にあったでも、一緒に組んだ演出担当は、僕が最初にADになったときにディレクターだった人与えられた予算内で最大限のCM効果をもたらそうと、CM枠前後の番組視聴率や視聴者層はもちろん、裏番組の視聴者層まで緻密にマーケティングして、作案業務に臨んだ
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